大阪で、来日から1年ほどのネパール人留学生(22歳)が、「止まれ」の標識を理解できないまま交差点に進入し、事故で亡くなったというニュースが報じられました。学校側は事故のあと、標識を英語併記に変え、多言語での注意喚起を続けています。
このニュースを、単なる交通安全の話として読むこともできます。しかし人手不足で外国人材の採用を検討している中小企業にとって、実はこれは、自社の安全配慮義務のあり方を見直すきっかけになる出来事です。
「マニュアルは渡している」「一度は説明した」という会社ほど、実は安全配慮義務を果たせていないケースがあります。この記事では、外国人材を雇う中小企業が押さえておくべき安全配慮義務の基本と、生成AIを使って多言語マニュアルを作る具体的な手順を解説します。
目次
目次
- 安全配慮義務とは何か。雇用形態を問わず生じる会社の義務
- 「マニュアルを渡した」で終わる会社が陥る典型パターン
- 生成AIで多言語安全マニュアルを作る5つのステップ
- マニュアル整備と合わせて必要な「対話」の仕組み
- よくある質問
安全配慮義務とは何か。雇用形態を問わず生じる会社の義務
労働契約法5条は、使用者に対し、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ働くことができるよう、必要な配慮をする義務を課しています。これが「安全配慮義務」です。
この義務は、正社員に限らず、パート・アルバイト、技能実習生、特定技能の外国人材など、雇用形態を問わずすべての労働者に及びます。危険な作業を伴う業種であればあるほど、この義務の重みは増します。
重要なのは、義務を果たしたかどうかの判断基準です。「安全上の注意事項を説明した」という事実だけでは、義務を果たしたとはみなされにくく、相手が実際にその内容を理解し、行動に反映できる状態になっていたかどうかが問われます。日本語の理解度に差がある外国人材の場合、この基準はより厳しく見られる可能性があります。
万が一、安全配慮義務を尽くしていなかったと判断された場合、会社は労災保険給付だけでは補われない慰謝料等について、民事上の損害賠償責任を負う可能性があります。事故が起きてから「説明したはずだ」と主張しても、それを裏付ける記録や仕組みがなければ、会社側の立証は難しくなります。
人手不足を背景に、技能実習・特定技能・日本語学校を出た留学生など、さまざまな形で外国人材の採用を検討する中小企業は、業種を問わず増えています。製造業や建設業、飲食業、介護の現場では、すでに外国人材なしでは現場が回らないという会社も少なくありません。採用を急ぐあまり、受け入れ体制の整備が後回しになっているケースも、実際には多く見られます。
「マニュアルを渡した」で終わる会社が陥る典型パターン
外国人材を受け入れる中小企業の現場では、次のようなパターンがよく見られます。
- 入社時に、日本語のみのマニュアルを一度渡して終わり
- 安全説明を行った際、本人が「はい、わかりました」と答えたことをもって理解済みと判断する
- 危険な作業についても、口頭説明のみで実演や確認を省略する
- 繁忙期の受け入れで、教育担当者が固定されず、説明内容にばらつきが出る
「わかりました」という返事は、理解の証明ではなく、その場の空気を悪くしたくないという配慮の言葉であることが少なくありません。特に、上下関係を強く意識する文化的背景を持つ従業員の場合、分からないことを分からないと言い出しにくい傾向があります。
こうした状態が積み重なると、労災事故が起きた際に、会社側の安全配慮義務違反が問われるリスクが高まります。実際にトラブルになってから対応するのではなく、受け入れ段階でリスクを小さくしておくことが重要です。
もう一つ見落とされがちなのが、「教育担当者が固定されていない」という問題です。担当者によって説明の丁寧さや内容にばらつきが出ると、本人がどこまで正しく理解しているかを会社側が把握できなくなります。誰が、いつ、何を説明したかを記録に残しておくことも、いざというときの備えになります。
生成AIで多言語安全マニュアルを作る5つのステップ
かつて多言語マニュアルの作成は、翻訳会社への外注が前提で、費用も時間もかかる作業でした。しかし今は、生成AIを使うことで、社内のパソコン1台からでも一次案を短時間で作成できます。具体的な手順は次の通りです。
- ①既存の日本語マニュアルのうち、危険な作業・重要なルールに関わる部分を洗い出す
- ②生成AIに読み込ませ、まず「やさしい日本語」に書き換える
- ③やさしい日本語版をもとに、従業員の母国語(英語・ベトナム語・ネパール語など)へ翻訳する
- ④危険な作業だけを抜き出し、ピクトグラムや写真を添えたチェックリストに整理する
- ⑤翻訳後の文章は、専門用語や禁止表現を中心に、必ず人の目でダブルチェックする
特に⑤は省略しないでください。機械翻訳は日常会話の精度は高くなっていますが、「〜してはいけない」といった禁止のニュアンスが弱まって翻訳されるケースが確認されています。命に関わる表現ほど、人の確認を挟むことをおすすめします。
この作業は、専門の担当者がいなくても始められます。既存のマニュアルを一部だけ抜き出し、「この文章を、やさしい日本語に書き換えてください」「同じ内容を英語とベトナム語に訳してください」と指示するだけで、たたき台は数分で出てきます。ここから先の精度を高める作業に、時間をかけるイメージです。
マニュアル整備と合わせて必要な「対話」の仕組み
多言語マニュアルの整備は、安全配慮義務を果たすための土台にすぎません。本人が本当に理解しているかを確認する仕組みを、あわせて用意する必要があります。
- 「わかりましたか」ではなく「今の内容を、自分の言葉で説明してください」と聞く
- 危険な作業の前は、口頭説明・実演・本人による実施の3段階を必ず踏む
- 入社1週間後、1か月後に、理解度を確認する短い面談を設ける
- 「わからない」と言いやすい雰囲気を、日頃のコミュニケーションで作っておく
マニュアルという仕組みと、直接確認する対話。この両方が揃って初めて、安全配慮義務は実質的に果たされたと言える状態に近づきます。
冒頭で紹介したニュースでも、学校側は標識の多言語化という「仕組み」に加え、校長先生が交差点に立って直接声をかけるという「対話」を続けています。仕組みと対話、どちらか一方だけでは足りないという点は、職場の安全管理にもそのまま当てはまります。
よくある質問
Q. 技能実習生や特定技能の外国人にも、安全配慮義務は同じように適用されますか?
A. はい。雇用形態にかかわらず、労働契約法5条に基づく安全配慮義務はすべての労働者に及びます。日本語の理解度に差がある場合は、通常より丁寧な説明と確認が求められると考えてください。
Q. すべてのマニュアルを一度に多言語化するのは大変です。どこから手をつければよいですか?
A. すべてを一度に整えようとすると挫折しやすいため、まずは命に関わる危険作業や緊急時対応など、優先度の高い部分から着手し、範囲を段階的に広げていくのが現実的です。
Q. 特別なツールを契約しないと、生成AIでのマニュアル作成はできませんか?
A. 一般に公開されている生成AIサービスでも、たたき台の作成は可能です。ただし、社外秘の情報や個人情報を含む文章を入力する際は、利用するサービスの利用規約やセキュリティ設定を必ず確認してください。不安がある場合は、社労士など専門家に相談しながら進めることをおすすめします。
まとめ:「伝えた」で終わらせず、「伝わったか」まで確認する
外国人材の受け入れが進む今、多言語マニュアルの整備は、もはや「余裕があればやること」ではなく、安全配慮義務を果たすための最低限の準備になりつつあります。生成AIを使えば、その負担は以前よりずっと小さくできます。
それでも、マニュアルを作って渡すだけで終わらせず、本人に本当に伝わっているかを確認する仕組みまでを、セットで整えることが欠かせません。
受け入れ体制を整えるタイミングは、採用が決まってからではなく、採用を検討し始めた段階が理想です。入社日が迫ってから慌てて準備をすると、どうしても「渡して終わり」になりやすくなります。自社の受け入れ体制に不安がある場合は、早めに専門家へ相談することをおすすめします。

