ハラスメントの訴えは、なぜ経営者に届かないのか——姫路の特定社会保険労務士が見た情報伝達の断絶

ハラスメントの訴えは、なぜ経営者に届かないのか——姫路の特定社会保険労務士が見た情報伝達の断絶

先日、ある経営者との月例面談で、休職中の従業員さんの様子を確認していたときのことです。同僚から「メンタルクリニックに行くなら、病名が確定するね」という趣旨の発言を受けていたことが分かりました。

私が「この発言について、会社として何か対応されましたか」と聞くと、経営者は驚いた表情でこう答えました。「今、初めて聞きました」。担当者との間では、すでにこの話が共有されていたにもかかわらず、です。

休職中の従業員さんは、この発言をすでに会社に伝えていました。ですが、それが経営者本人には届いていなかったのです。今日は、この「情報が届いていなかった」という事実の重さについてお伝えしたいと思います。


目次

  1. 「伝えたつもり」と「伝わっていた」は違う
  2. なぜ経営者に情報が届かないのか
  3. 「放置していた」と評価されるリスク
  4. 加害者に自覚がないからこそ、全体周知は効かない
  5. よくある質問

「伝えたつもり」と「伝わっていた」は違う

冒頭の事例では、休職中の従業員さんから会社の担当者に、同僚からの発言についての情報がすでに共有されていました。ところが、それが経営者本人に伝わったのは、その月例面談の場でした。担当者の間では共有されていたつもりでも、経営者本人は「今、初めて聞きました」と答えたのです。

これは決して珍しいことではありません。組織の中で情報が「共有された」ことと、経営者本人が「把握している」ことは、まったく別物です。担当者から担当者へ、報告のつもりで伝えたことが、実際には経営者の耳に届いていない。この断絶は、規模の大小を問わず、多くの中小企業で起きています。

特に、休職や体調不良に関わる話は、担当者が「本人のプライバシーに配慮して、必要以上に広めない方がいい」と考えてしまいがちです。その配慮自体は間違っていません。ですが、配慮すべき範囲と、経営者が知っておくべき範囲は、本来は別のラインで引かれるべきものです。ここが曖昧なまま運用されると、経営者が「知らないうちにリスクが積み上がっていた」という事態を招きます。


なぜ経営者に情報が届かないのか

今回の事例に置き換えてみると、情報が届かなかった背景にはいくつかの要因が重なっていました。

  • 発信のタイミング:休職中の従業員さんが、担当者との日常的なやり取りの中で軽く触れる形で伝えていた
  • 受け手の判断:担当者が「深刻な話」と受け止めず、経営者へのエスカレーションが必要と判断しなかった
  • 情報の分散:複数のやり取りの中に埋もれてしまい、まとめて報告される機会がなかった
  • 結果:経営者は、月例の面談で第三者(社労士)から指摘されるまで、その事実を知らないままだった

誰か一人が悪いという話ではありません。「重大なことは自然と経営者の耳に入るはず」という思い込みが、組織のどこかにあったのだと思います。ですが、現場は日々忙しく、担当者の主観で「これは報告するべきか」が判断されてしまう限り、この断絶はなくなりません。

中小企業では、社長や理事長が現場のすべてに目を配ることは物理的に不可能です。だからこそ、間に立つ担当者の判断力に頼らざるを得ない場面が多くなります。しかし、その担当者自身も「これくらいなら大丈夫だろう」「経営者を煩わせたくない」という善意で情報を止めてしまうことがあります。結果として、経営者が最も知っておくべき情報ほど、遠回りをして届く、あるいは届かないという逆転現象が起きるのです。


「放置していた」と評価されるリスク

ここで経営者にとって厳しいのは、「知らなかった」という事実そのものが、会社にとって不利に働きかねないということです。

ハラスメントに関する紛争では、会社がハラスメントの事実を把握しながら放置していたかどうかが、大きな争点になります。「経営者は知らなかった」という主張は、労働者側から見れば「会社の管理体制が機能していなかった」ことの証明にもなり得ます。実際に、メンタル不調で退職した従業員が、後になって「会社はこの問題を放置していた」と主張してくるケースは、他社でも起きています。

つまり、経営者本人が知らなかったことは、免責の理由にはならず、むしろ「なぜ知らなかったのか」という管理体制の問題として問われてしまうのです。「知らなかった」を「仕方がなかった」で済ませられる時代ではなくなっています。


加害者に自覚がないからこそ、全体周知は効かない

事実を把握した経営者が最初に考えたくなるのが、「全社に向けて、こういう発言はやめましょうと周知する」という対応です。加害者本人を名指しせずに注意を促せば、角も立たないだろうという発想です。

しかし、この方法にはほとんど効果がありません。ハラスメントの加害者は、多くの場合、自分がハラスメントをしているという自覚を持っていないからです。全体に向けた周知は、当事者には響かず、むしろ関係のない従業員たちに「何かあったのか」という不要な詮索と混乱を招くだけに終わることが少なくありません。

効果があるのは、遠回しな全体周知ではなく、本人への直接の事実確認です。ただし、ここでも注意が必要です。申告した本人の了承を得ずに動けば、報復や二次被害のリスクが生まれます。まずは「会社としてあなたを守る」という姿勢を明確に示した上で、本人の同意を得てから、慎重に事実確認を進める。この順番を守ることが欠かせません。

事実確認は、感情的な断罪の場ではありません。何があったのかを客観的に整理し、記録として残すための作業です。この記録は、後日の指導や配置転換、場合によっては懲戒といった対応を検討する際の重要な材料になります。逆に、記録が残っていなければ、どれだけ深刻な状況であっても「言った・言わない」の水掛け論に終わってしまいます。


よくある質問

Q. 経営者に情報が届く仕組みを作るには、何から始めればいいですか?

A. まずは「どんな内容なら経営者に必ず報告するか」という基準を、担当者と共有することから始めるとよいでしょう。ハラスメントの訴え、休職・体調に関する発言、退職を示唆する発言などは、担当者の主観で判断せず、必ず経営者に報告するルールにしておくことをおすすめします。

Q. 本人が「大ごとにしないでほしい」と言った場合はどうすればいいですか?

A. 本人の意向は尊重しつつも、経営者への情報共有そのものは止めるべきではありません。「事実確認や対応を進めるかどうかは慎重に判断するが、経営者としては状況を把握しておく」という形で、報告と対応のタイミングを分けて考えるとよいでしょう。


まとめ:情報は「共有した」ではなく「届いた」かで判断する

担当者の間で情報が回っていても、経営者本人に届いていなければ、それは組織として把握しているとは言えません。ハラスメントに関する情報ほど、この断絶が後になって大きなリスクとして跳ね返ってきます。「うちは大丈夫」と思っている会社ほど、一度立ち止まって確認する価値があります。

ハラスメント対応の体制づくりや、情報が経営者に確実に届く仕組みづくりに不安を感じたら、ぜひ当社にご相談ください。

筆者プロフィール

泉 正道(いずみまさみち)|特定社会保険労務士/採用定着士/生成AIアドバイザー

姫路を拠点に中小企業延べ150社以上へ伴走。採用・定着・労務の相談累計3,000件超(2026年6月現在)。北は福島、南は佐賀まで顧問先があり、全国オンライン対応。

「採用より定着が先」——これが口癖であり、信念。耳が痛くても言い続ける。親に与えてもらった環境や収入を「全て自分の力」と誤解する2代目社長に説教して解約された経験あり。それでも伝え続けるのが私の役目。

支援の軸は制度(ハード)と対話(ソフト)の両輪。就業規則や評価制度を整えるだけでも、研修や面談を繰り返すだけでも、人の問題は解決しない。両方が噛み合って初めて、人が辞めない組織が動き出す。伴走とダメ出しができる社労士。

生成AI支援では「研修を受けた企業の9割が1ヶ月後に何もしていない」という現実に向き合い、経営者のPCを直接触り、当日に課題を解決する「実装型」の伴走を展開。商工会・商工会議所・大手生命保険会社でのセミナー講師としても精力的に活動中。