「通勤手当を旅費交通費にすれば、社会保険料が下がる」——こんな話を聞いたことはないでしょうか。
実際に、コンサルタントや税理士から提案されて導入している会社があります。しかし、このスキームには法的根拠がなく、発覚した場合のリスクは甚大です。
「節税できる」「合法だ」と言われて導入したスキームが、後になって会社と従業員の両方を傷つける。そういう事例を私は何度も見てきました。今回は、この「旅費交通費スキーム」の実態とリスクを整理します。
目次
目次
- 「旅費交通費スキーム」とは何か
- なぜ問題なのか——法的根拠のなさ
- 発覚したらどうなるか——遡及と追徴のリスク
- 従業員へのしわ寄せ——見落とされる「損」
- 泉の持論——「怪しいスキームには手を出すな」
- よくある質問
- まとめ
「旅費交通費スキーム」とは何か
通常、従業員が毎日同じ経路で通勤する場合に支払う「通勤手当」は、給与(報酬)に含まれます。社会保険料(健康保険・厚生年金)の算定基礎となる「標準報酬月額」に算入されます。
一方、「旅費・出張費・実費弁償」は、業務のために実際にかかった費用の補填という性質があり、社会保険料の算定基礎には含まれません。
旅費交通費スキームとは、本来「通勤手当」として支払うべきものを「旅費交通費」に名称変更することで、標準報酬月額を下げ、社会保険料を削減しようとする手法です。
見た目は「旅費交通費」ですが、実態は毎月同額の定期代支給。これは「実費弁償」ではなく「定期的な賃金」と判断されます。
なぜ問題なのか——法的根拠のなさ
健康保険法・厚生年金保険法では、「報酬」の定義を「賃金、給料、俸給、手当、賞与その他いかなる名称であるかを問わず、労働者が労働の対償として受けるすべてのもの」としています。
重要なのは、「名称を問わず」という点です。「旅費交通費」という名前をつけても、実態が定期的・固定的な通勤費の支給であれば、報酬に含まれます。
名称を変えることで法の網をくぐろうとするスキームは、法解釈上「実態主義」という考え方によって否定されます。日本年金機構もこのスキームの問題を認識しており、調査対象となっています。
発覚したらどうなるか——遡及と追徴のリスク
このスキームが年金事務所の調査で発覚した場合、次のようなリスクが一気に顕在化します。
① 過去2年分の社会保険料の追徴
悪意があると判断された場合は最大2年分(故意・重過失の場合)にわたって、本来支払うべきだった社会保険料の追徴が発生します。会社負担分だけでなく、本来従業員が負担すべきだった分も会社が立て替えることになります。
② 延滞金・加算金
未納保険料には延滞金がかかります。長期間続けていた場合、延滞金だけで相当な金額になります。
③ 従業員への返還問題
社会保険料は労使折半です。本来従業員が負担すべきだった保険料を今さら請求できるか——これが経営者にとって最も頭の痛い問題です。「給与明細に書かれていなかった分を今から引く」とはなかなか言えません。事実上、会社が全額を被ることになる可能性があります。
④ 将来の年金額への影響
標準報酬月額を下げることで、従業員の将来の厚生年金受給額も下がります。「会社のコスト削減のために、自分の老後の年金を削られていた」——これが従業員に知れれば、信頼関係は崩れます。
従業員へのしわ寄せ——見落とされる「損」
このスキームで「得をする」のは会社だけです。従業員には次の損失が生じています。
- 将来の厚生年金受給額の減少
- 傷病手当金・出産手当金の給付額の減少(標準報酬月額をもとに計算されるため)
- 雇用保険の給付額にも影響する可能性
従業員は「給与は変わっていない」と思っていても、実は将来受け取るべき給付が削られている状態です。これは、従業員の尊厳を傷つける行為でもあると私は考えています。
泉の持論——「怪しいスキームには手を出すな」
「合法だ」「節税できる」と言われて飛びついたスキームが、後になって経営を揺るがす。これは旅費交通費スキームに限りません。
最近でいえば、補助金申請の「スキーム」を提案してくる業者が増えています。「うまくやれば補助金が取れる」「実態は少し違うけど申請できる」——こういう話を持ち込んでくる人間は、リスクを負わない立場にいます。
問題が起きたとき、責任を取るのは経営者本人です。「言われた通りにやった」は通用しません。
法的根拠が明確でないスキームには、どんなに「おいしい話」でも手を出してはいけない。これが私の一貫した考えです。
「合法かどうか」を判断できない話を持ちかけられたら、すぐに専門家に確認してください。確認のコストは、後からのリスクに比べれば、圧倒的に小さい。
よくある質問
Q. 顧問税理士から提案されたスキームです。税理士が言うなら大丈夫ではないですか?
A. 税理士は税務の専門家ですが、社会保険の専門家ではありません。税務上は問題なく見えても、社会保険の観点から見ると違法となるケースがあります。社会保険に関する判断は、社会保険労務士に確認することをお勧めします。提案者が誰であれ、法的根拠の確認は必要です。
Q. すでに導入してしまっています。今から辞めれば問題ありませんか?
A. 今すぐ正しい処理に戻すことが最善です。ただし、過去の期間については調査が入った場合にリスクが残ります。まずは専門家に状況を相談し、リスクの大きさと対応策を確認することをお勧めします。自己申告という選択肢もあります。
まとめ
旅費交通費スキームは、法的根拠のない節約手法です。短期的なコスト削減のつもりが、発覚した際には追徴・延滞金・従業員との信頼関係崩壊という取り返しのつかない結果をもたらします。
「うまい話」には必ずリスクが潜んでいます。法的根拠が明確でないスキームは、どんなに魅力的に見えても手を出さないことが、経営者を守る最善の判断です。
「これって違法?」「トラブルになる前に相談したい」——そのタイミングが一番大事です。
姫路の中小企業の現場を知る社労士が、一緒に整理します。

