2026年8月6日、財務省の人事が大きな話題になりました。将来の事務次官候補と言われてきた一松旬・主計局次長が、東京税関長へ転出するという内容です。
朝日新聞の報道によれば、消費減税などをめぐって意見が対立した政権側の意向があったとされ、官邸幹部は「(一松氏は)政権にあまり協力的でなかったから」と語ったと報じられています。
この人事の是非は、ここでは論じません。国家公務員の人事と、民間企業の人事は法律上のルールがそもそも違うからです。
ただ、このニュースをきっかけに「意見を言ってくる社員を、別の部署に異動させたい」というご相談が増えるのは、毎回のことです。そして、この判断を誤ると、後で高くつきます。
民間企業の配置転換(配転)には、はっきりした法律上の限界があります。今回はそこを整理します。
目次
目次
- そもそも会社に「異動させる権利」はあるのか
- 配転命令が無効になる3つのケース(最高裁の判断枠組み)
- 2024年4月から「変更の範囲」の明示が義務になっている
- 育児・介護をしている社員への配慮義務
- トラブルを防ぐために踏んでおきたい4つの手順
- よくある質問
- まとめ:異動そのものではなく、動機と手順が問われる
そもそも会社に「異動させる権利」はあるのか
結論から言うと、あります。
多くの会社の就業規則には「業務上の必要がある場合、従業員に対して就業場所または業務内容の変更を命じることがある」といった規定が置かれています。この規定と労働契約によって、会社は配転命令権を持つと考えられています。
逆に言えば、就業規則にこの規定がなく、労働契約でも勤務地や職種が特定されている場合、会社が一方的に異動を命じることは難しくなります。
「勤務地限定」「職種限定」の合意があると話が変わる
採用時に「本社勤務」「経理職として採用」と明確に約束していた場合、それは勤務地限定合意や職種限定合意と評価される可能性があります。
この場合、会社が一方的に他拠点や他職種への異動を命じることはできず、本人の同意が必要になります。求人票や労働条件通知書の書き方が、そのままここに効いてきます。
権利があっても「濫用」は認められない
配転命令権があるとしても、無制限ではありません。労働契約法第3条第5項は、「労働者及び使用者は、労働契約に基づく権利の行使に当たっては、それを濫用することがあってはならない」と定めています。
つまり、権利があること自体は出発点にすぎず、その使い方が問われるということです。
配転命令が無効になる3つのケース(最高裁の判断枠組み)
配転命令の有効性については、東亜ペイント事件(最高裁昭和61年7月14日判決)が長く実務の基準になっています。
この判決は、次のような事情がある場合には、配転命令が権利の濫用になるという枠組みを示しました。
- 業務上の必要性が存在しない場合
- 業務上の必要性があっても、不当な動機・目的をもってなされた場合
- 労働者に対して、通常甘受すべき程度を著しく超える不利益を負わせる場合
実務では、この3点を順番に自問することになります。
①業務上の必要性は、そこまで高いハードルではない
意外に思われるかもしれませんが、この点のハードルはそれほど高くありません。「その人でなければ絶対にできない」というレベルまでは求められず、労働力の適正配置や業務運営の円滑化といった、企業の合理的な運営に寄与する事情があれば認められる方向に働きます。
問題になりやすいのは、むしろ次の2つです。
②「気に入らないから」は不当な動機・目的にあたりうる
ここが今回のニュースと重なる部分です。
会議で反対意見を述べた、労働基準監督署に相談した、残業代の未払いを指摘した、労働組合に加入した。こうした行為への報復として異動を命じたと評価されれば、不当な動機・目的があったと判断されるおそれがあります。
怖いのは、社長の頭の中では「組織の活性化のため」と整理していても、外から見ると別の見え方をする点です。判断されるのは内心ではなく、時系列と客観的な事実です。
たとえば、社員が是正を求めた2週間後に畑違いの部署への異動が出れば、その2つは結び付けて見られます。
③生活が壊れるレベルの不利益は認められにくい
通勤時間が大幅に延びる、単身赴任を余儀なくされる、賃金が大きく下がる。こうした不利益がどの程度かも判断材料になります。
ただし、転勤に伴う一般的な負担は「通常甘受すべき程度」の範囲とされることも多く、どこからが「著しく超える」かは個別事情によります。介護や治療、子どもの就学など、代わりのきかない事情があるかどうかが分かれ目になります。
2024年4月から「変更の範囲」の明示が義務になっている
見落とされがちですが、2024年(令和6年)4月から労働条件明示のルールが変わりました。
すべての労働契約の締結時と有期労働契約の更新時に、雇入れ直後の就業場所・業務の内容に加えて、それらの変更の範囲も明示することが必要になっています。
ここでいう「変更の範囲」とは、雇入れ直後だけでなく、将来の配置転換なども含めた、契約期間中に変わりうる範囲のことです。配置転換や在籍型出向の場合の異動先は含まれますが、一時的な応援業務や出張、研修などは含まれません。
この明示があいまいなまま「会社が定める場所」とだけ書いてある会社は少なくありません。それ自体が直ちに違法というわけではありませんが、後々「そんな異動があるとは聞いていない」という争いの火種になります。
2024年4月以降に採用した社員の労働条件通知書を、一度確認してみてください。
育児・介護をしている社員への配慮義務
もうひとつ、実務で忘れられがちな条文があります。育児・介護休業法第26条です。
この条文は、就業場所の変更を伴う配置の変更をしようとする場合に、その変更によって子の養育や家族の介護を行うことが困難になる労働者がいるときは、その状況に配慮しなければならない、と定めています。
注意したいのは、これは「異動させてはいけない」という規定ではないことです。求められているのは配慮であって、禁止ではありません。
具体的には、本人の育児・介護の状況を確認する、異動の時期を調整できないか検討する、通勤や勤務時間について代替案を考える、といった対応が想定されます。
この「聴いて、検討した」というプロセスがあるかないかで、後の評価は大きく変わります。
トラブルを防ぐために踏んでおきたい4つの手順
中小企業は、決裁が速いぶん、手順が飛びやすいという特徴があります。社長がその日に決めて、翌日に伝えることができてしまうからです。
次の4つだけは押さえておきたいところです。
1. 就業規則と労働条件通知書を確認する
配置転換の規定があるか。採用時に勤務地や職種を限定していなかったか。この2点の確認が出発点です。
2. 業務上の必要性を、言葉にして残す
なぜこの人を、なぜこのタイミングで、なぜこのポジションに動かすのか。口頭で説明できても、書いていないと後から再現できません。稟議書でもメモでも構いません。
3. 動機に「感情」が混ざっていないか、自分に問う
直近でその社員と何かあったか。あったとすれば、その出来事と異動の時期が近すぎないか。近い場合は、時期をずらすか、必要性の説明をより丁寧にする必要があります。
4. 本人と面談し、記録を残す
異動の理由を伝え、生活面の事情がないかを聴く。育児・介護の事情があれば、そこで配慮の検討に入ります。いつ、誰が、何を話したか。この記録が、後になって会社を守ります。
よくある質問
Q. 社員が異動を拒否した場合、懲戒解雇できますか?
A. 配転命令そのものが有効であれば、業務命令違反として懲戒の対象になりえます。ただし、いきなり懲戒解雇に進むのは非常にリスクが高い対応です。まず配転命令が有効といえるかを確認し、拒否の理由を聴き取り、話し合いの経過を残すことが先になります。順番を飛ばした処分は、後で争われたときに会社が不利になります。
Q. 役職を外して一般職に戻す異動も、同じ考え方でよいですか?
A. 考え方の枠組みは同じですが、賃金が下がる場合はより慎重な検討が必要です。役職手当がなくなることで大幅に賃金が下がるケースでは、就業規則上の根拠と、降格の合理的な理由の両方が問われます。人事評価の記録が何もないまま賃金だけ下げる対応は、争いになりやすい典型です。
まとめ:異動そのものではなく、動機と手順が問われる
会社には配置転換を命じる権利があります。人を適材適所に配置することは、経営の当然の役割です。
問題になるのは、異動そのものではなく、その動機と手順です。
業務上の必要性を説明できるか。感情が混ざっていないか。本人の事情を聴いたか。記録が残っているか。この4つが揃っていれば、多くのトラブルは未然に防げます。
そして忘れてはいけないのが、その異動を見ているのは本人だけではないということです。周りの社員は、会社が人をどう扱うのかを、辞令から読み取っています。
制度を整えること(ハード)と、伝え方を尽くすこと(ソフト)。この両方が噛み合ってはじめて、異動は組織の納得につながります。
「これって違法?」「トラブルになる前に相談したい」——そのタイミングが一番大事です。
姫路の中小企業の現場を知る社労士が、一緒に整理します。

