先日、スタッフを12人まで増やしたクリニックの院長と面談したときのことです。院長は開口一番、「人を増やしたのに、前より診療が回らなくなった」とおっしゃいました。
院長の話はこうです。午後の診療が始まる時間に、予約の患者さんを待合室で15分も待たせてしまった。そのとき手が空いていたスタッフが2人いたのに、どちらも器具の片付けを続けていて、患者さんを診察室に案内しなかった。院長が2人に理由を聞くと、返ってきたのは「もう1人が行くと思っていました」という答えでした。
院長は「毎朝、うまくやっておいてねと言っているのに」と頭を抱えていましたが、私は、これはスタッフのやる気の問題ではないと考えています。2人とも、サボっていたわけではなく、目の前の片付けをしていたのです。
今日はそれについて、私の持論をお話しします。
目次
目次
- 相談の概要(スタッフを増やしたのに、午後の診療開始が遅れるクリニック)
- 社長一人で指揮命令ができるのは、経営に集中できる業種だけ
- 責任者を決めずに任せると、責任が全員に分散して誰も動かない
- クリニックには、役職手当をつけた事務長かリーダーが必要
- リーダーを任命するときに、院長が決めておくべき3つのこと
- よくある質問
- まとめ
相談の概要(スタッフを増やしたのに、午後の診療開始が遅れるクリニック)
このクリニックの状況を、院長から聞いた内容で整理すると、次のようになります。
- スタッフの人数:この1年で8人から12人に増えた(看護師、医療事務、受付)
- 院長の指示の出し方:朝礼で「今日もうまくやっておいてね」と伝えるだけ
- 担当の決め方:予約の患者さんを誰が案内するかは、その場の雰囲気で決まる
- 起きたこと:午後の診療開始の時間に、予約の患者さんが15分待たされた
- 院長の悩み:診療の合間に全体を見られず、問題に気づくのはいつも後から
スタッフが8人だった頃は、院長が細かく言わなくても、誰かが自然に動いていました。人が足りないので、自分が行かなければ誰も行かないことを、全員が分かっていたからです。ところが12人になって余裕ができた途端、手が空いているスタッフがいても、誰も一歩前に出なくなりました。
院長はこの1年、求人を出し、面接をし、新人を育てるために、診療の合間を縫って時間を使ってきました。その結果が「前より回らない」なのですから、頭を抱えるのも当然です。ですが、人を増やしたこと自体は、間違っていません。足りなかったのは、増えた12人を誰が動かすのかを決めることでした。
社長一人で指揮命令ができるのは、経営に集中できる業種だけ
従業員が10人を超えた会社でも、社長一人で全員に指示を出して回っている会社はあります。社長が現場の作業から離れ、事務所で売上や段取りを見ながら「今日はAさんがこれ、Bさんがこれ」と振り分けられる会社です。社長の仕事が経営に絞られているなら、10人、20人に目を配る時間はつくれます。
ところが、クリニックの院長はそうはいきません。院長は、1人で3つの仕事を同時に抱えているからです。
- 診療:患者さんを診て、治療をする。クリニックの売上の大半は、院長の手から生まれる
- 教育:新しく入ったスタッフに、仕事の手順や患者さんへの接し方を教える
- 経営:求人、シフト、給料、資金繰り、スタッフとの面談を回す
このうち診療は、院長にしかできない仕事です。朝の9時から夕方の6時まで、昼休みを除けばほとんど診察室の中にいて、患者さんを診ている時間のほうが長いはずです。その状態で、待合室に何人の患者さんが待っているのか、どのスタッフの手が空いているのかまで把握し、その都度誰かに声をかける。診療をしながら12人の動きを見て指示を出すのは、まず無理です。
これは院長の能力の問題ではなく、診察室にいる間は待合室が見えないという、物理的な問題です。
責任者を決めずに任せると、責任が全員に分散して誰も動かない
院長が全員を見られないとき、多くの院長が口にするのが「うまくやっておいてね」です。院長としては、スタッフを信頼して任せているつもりです。ですが、12人全員に任せた仕事は、誰の仕事でもありません。誰の責任か分からない仕事は、誰もやりません。
冒頭の2人に足りなかったのは、やる気ではありません。片付けと患者さんの案内のどちらを先にやるかを決める人がいなかったので、2人とも相手が案内すると思い込んだのです。
ここで院長が「なんで誰も行かないの」と全員の前で叱ると、どうなるでしょうか。叱られたスタッフからすれば、誰かに頼まれたわけでもないのに、なぜ自分が怒られるのか分かりません。まじめに片付けをしていた人ほど、理不尽に感じます。一方の院長は「何度言っても伝わらない」とイライラが溜まり、スタッフを見る目がどんどん厳しくなっていきます。責任者がいないまま任せ続けると、院長とスタッフの関係まで少しずつ悪くなっていくのです。
クリニックには、役職手当をつけた事務長かリーダーが必要
では、どうすればいいのか。私の答えは一つです。スタッフが10人を超えたら、役職手当をつけて、リーダーを1人決めてください。多くのクリニックが、事務長を雇ったり、リーダーを決めて役職手当をつけたりしています。院長一人では回らないからです。
事務長とリーダーは、役割が少し違います。事務長は、求人やシフト、給料の計算、院長とスタッフの調整など、経営と事務の側を院長の代わりに受け持ちます。リーダーは、診療中の現場で「この患者さんはAさんが案内して、Bさんは片付けを先に」と段取りを決める役です。スタッフが10〜15人なら、まず現場のリーダーを1人決めてください。
そして、リーダーを決めたら、必ず役職手当をつけてください。責任だけを渡して給料が同じなら、リーダーは「損な役回りを押しつけられた人」になってしまいます。周りのスタッフも、手当のない同僚から指示されれば「同じ立場なのに、なんであの人が」と感じるはずです。
院長がリーダーに伝える言葉は、これで十分です。「この時間帯の段取りは、あなたの責任です。その分、給料も高いです」。責任と給料がセットになっていれば、リーダー本人も、周りのスタッフも「その分の仕事だ」と受け止められます。誰の責任かがはっきりしていて、その責任に見合った給料が払われている。これが、スタッフが納得できる指示命令です。
リーダーを置けば、院長は診療の合間に診察室を出て、待合室の様子を確かめに行く必要がなくなります。役職手当は、院長が診療に集中する時間を買うお金だと考えれば、決して高くはないはずです。
リーダーを任命するときに、院長が決めておくべき3つのこと
リーダーを決めても、「今日からリーダーね。よろしく」と言うだけでは、何も変わりません。任命する前に、院長が決めておくべきことは次の3つです。
1. リーダーに任せる仕事の範囲
何をリーダーの責任にするのかを、具体的に書き出してください。たとえば、朝礼の進行、予約の患者さんを誰が案内するかの割り振り、午前と午後の診療開始時間に準備が整っているかの確認、新人の指導の担当決め、といった形です。「現場のことは全部」では、どこまでがリーダーの仕事なのか分からず、リーダーも動けません。
2. 役職手当の額と、その手当が何の対価なのか
役職手当を新しく設けるときは、賃金規程に「役職ごとの手当の額と、支給の条件」を定めます。賃金規程は就業規則の一部なので、スタッフが常時10人以上のクリニックなら、スタッフの過半数を代表する人(院長が指名するのではなく、スタッフの投票などで選んだ人)から意見を聴いて、労働基準監督署に届け出ます。人数にかかわらず、決めた内容はスタッフ全員に周知してください。任命するときは辞令を出し、あわせて労働条件通知書(雇用契約書)を更新して、本人に書面で示してください。
そのとき、役職手当は現場の段取りを決める責任への手当だとはっきり書き、「役職についている間だけ支給し、役職を外れたら支給しない」ことも賃金規程に入れておきます。この一文がないと、リーダーを外すときに手当も外してよいのかがあいまいになり、一方的な賃金の引き下げとして争いになることがあります。また、役職手当は残業代の計算の基礎に入るので、リーダーの残業代の単価はその分上がります。残業代を定額で払いたい場合は、役職手当に混ぜずに、別の手当として設けてください(詳しくは「よくある質問」で説明します)。
3. 院長がリーダーの頭越しにスタッフへ指示を出さないこと
リーダーを置いたのに、院長が気になったことをその場で直接スタッフに言い続けると、スタッフはリーダーではなく院長の顔色を見て動くようになります。院長が気になったことは、まずリーダーに伝えて、リーダーからスタッフに伝えてもらう。この順番を院長自身が守らなければ、リーダーはすぐに名前だけの存在になります。
ここまでの3つは、ハード(仕組み・決めごと)の話です。そのうえで、ソフト(関わり方)として院長にお願いしたいのは、リーダーをスタッフ全員の前で紹介し、「これからは、この時間帯の段取りは〇〇さんに任せます」と院長の口から伝えることです。そして、リーダーの判断が院長の考えと少し違っても、患者さんに迷惑がかからない範囲なら、後から口を出さずに任せてください。任せた相手を院長が立てなければ、周りのスタッフもリーダーを立てません。リーダーが判断を間違えたときは、責めるのではなく、診療が終わってから2人で振り返れば十分です。
よくある質問
Q. リーダーに役職手当をつければ、残業代は払わなくてよいですか?
A. いいえ。役職手当をつけても、法定労働時間(原則1日8時間・週40時間)を超えた分の残業代は必要です。労働時間や休日の規定が適用されず、時間外・休日の残業代が不要になる「管理監督者」(労働基準法第41条第2号)に当たるかどうかは、「リーダー」「事務長」といった肩書きではなく、実態で判断されます。労務管理について経営者と一体的な立場にあって重要な権限を持ち、出退勤や勤務時間について厳格な管理を受けておらず、給料などでその地位にふさわしい待遇を受けていること。これらを総合的に満たす必要があり、現場の段取りを決めるリーダーはもちろん、事務長であっても、ほとんどの場合は管理監督者に当たりません。なお、管理監督者に当たる場合でも、深夜(22時〜翌5時)の割増賃金と年次有給休暇は、ほかのスタッフと同じように必要です。
残業代を定額で払いたい場合は、役職手当とは別に「固定残業手当」などの手当を設け、何時間分の残業代としていくら払うのかを通常の給料と区別できる形で示し、実際の残業代がその額を超えたときは差額を払ってください。役職手当の中に残業代を混ぜる形は、残業代の支払いと認められないおそれが高く、その場合はあとで残業代をまとめて請求されることになります。
Q. スタッフが10人に満たないクリニックでも、リーダーは必要ですか?
A. 人数よりも、院長が現場を見られない時間の長さで判断してください。スタッフが6人でも、院長が一日中診察室から出られず、受付や準備の段取りを誰も決めていないなら、同じことが起きます。最初は時間帯を絞って「午後の診療開始の準備はAさんの担当」のように、小さな範囲から任せてみてください。
まとめ
スタッフを8人から12人に増やしたのに、手が空いた2人が「もう1人が行くと思っていました」と言い、患者さんを15分待たせてしまった。原因は、スタッフのやる気ではなく、誰が段取りを決めるのかが決まっていなかったことでした。
経営に集中できる業種なら、社長一人で10人に指示を出すこともできます。ですが、診療・教育・経営を同時に抱えるクリニックの院長には、その時間がありません。だからこそ、スタッフが10人を超えたクリニックには、役職手当をつけた事務長かリーダーが必要です。「あなたの責任です。その分、給料も高いです」と言える体制をつくることが、院長にもスタッフにも患者さんにも、いちばん納得のいく答えだと私は考えています。
人を増やしたのに回らないと感じたら、スタッフを責める前に、誰に何を任せているのかを、院長自身が見直してほしいのです。
この記事を読んで、「うちはどうすればいい?」と思ったら、それが相談のサインです。
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