2026年9月3日、過労死や過労自殺の現状をまとめた2026年版「過労死等防止対策白書」の案が明らかになりました。白書の案は、2012年度から2023年度の労災認定を分析し、医療業界で精神障害の労災認定が大幅に増えたと指摘しています。厚生労働省の統計でも、医療・福祉業界の精神障害の労災請求は2025年度に1,288件と、全業種で最も多い数字です。
白書の案は、人手不足への対策と、職場のメンタルヘルス対策の強化が必要だとしています。私もその通りだと思います。ですが、クリニックの現場を見てきた私は、スタッフの心を折っているのは、忙しさだけではないと考えています。
今日はそれについて、私の持論をお話しします。
目次
目次
- ニュースの概要
- 医療の職場で心が折れる原因は、忙しさだけではない
- 特定スタッフへの配慮が、他のスタッフを燃え尽きさせる
- スタッフの退職がきっかけで、隠れていた問題が表面化する
- スタッフが辞めても職場が壊れないための3つの対策
- 院長ができないことは、外部の専門家に任せる
- よくある質問
- まとめ
ニュースの概要
共同通信によると、白書の案は精神障害の労災認定について「特に医療(業界)の件数が大幅に増加した」としています。労災と認められた事案の原因では「対人関係」が目立って増えていて、その中でも「上司とのトラブル」が多いと指摘しています。白書は、2026年10月に閣議決定される見通しです。
厚生労働省が2026年7月15日に公表した「令和7年度 過労死等の労災補償状況」でも、同じ傾向が出ています。2025年度の精神障害の労災請求は全業種で4,958件と、前の年度より1,178件も増えました。業種の中分類で請求が多かったのは、1位が社会保険・社会福祉・介護事業の706件、2位が医療業の578件で、上位2つを医療・福祉が占めています。
病院やクリニックは、人の命と健康を預かる職場です。その職場で、心の病気による労災請求が、他のどの業界よりも増えているのです。
医療の職場で心が折れる原因は、忙しさだけではない
医療の職場が忙しいのは、今に始まったことではありません。患者さんは待ってくれませんし、急な対応も日常です。ですが、忙しい医院のスタッフが全員心を病むかというと、そうではありません。同じくらい忙しくても、スタッフが長く働き続けている医院はあります。
労災の認定基準を見ると、そのヒントが書かれています。厚生労働省の認定基準(令和5年9月1日付け基発0901第2号)は、心理的負荷を評価する具体的な出来事として、「複数名で担当していた業務を1人で担当するようになった」「上司や担当者の不在等により、担当外の業務を行った・責任を負った」を定めています。同じ仕事の量・質に関わる出来事では、「仕事内容・仕事量の大きな変化を生じさせる出来事があった」が、2025年度に113件、労災と認められています。
私が現場で見てきたのも、この形です。心が折れるのは、人が抜けた穴を、残ったスタッフが黙って背負わされたときです。忙しさは、みんなで分け合えばまだ耐えられます。ですが、穴を埋める役が特定の1人に偏り、そのことに院長が気づいていないと、その1人は誰にも言えないまま限界を迎えます。そして、限界に気づいてもらえないこと自体が、スタッフから見れば「上司とのトラブル」になっていきます。
特定スタッフへの配慮が、他のスタッフを燃え尽きさせる
あるクリニックでの話です。家庭の事情を抱えたスタッフがいて、院長はそのスタッフの勤務時間を柔軟にしました。事情のある人に配慮すること自体は、とても立派な判断です。
ところが、家庭の事情でどうしても当日に休まざるを得ない日が、月に何度も出てきました。その穴を何も言わずに埋め続けたのは、ベテランのスタッフ1人でした。自分の担当に加えて、休んだ人の分の準備も片付けも引き受け、それが何か月も続いたのです。院長がそのことに気づいたのは、ベテランのスタッフが「もう無理です」と言ってきたときでした。
ですが、院長はそのスタッフの勤務を柔軟にすると決めたとき、空いた分の仕事を誰がどう引き受けるのかまでは決めていませんでした。特定のスタッフへの配慮は、その分を引き受ける人への配慮とセットでなければ、別のスタッフを燃え尽きさせます。
スタッフの退職がきっかけで、隠れていた問題が表面化する
別の医療機関での話です。院長とスタッフの間に立って、双方の言い分を受け止めていた事務長がいました。その事務長が退職した途端、院長の言い方への不満、残業代の計算への不信、有休の取りにくさへの不満が、一度に院長にぶつけられるようになりました。
院長からすると、事務長が辞めたせいで職場が壊れたように見えます。ですが、事務長の退職は原因ではなく、きっかけにすぎません。問題は前からあって、事務長が1人で受け止めていたから見えていなかっただけです。事務長がいる間は不満が院長に届かず、院長は「うちはうまくいっている」と思い込んでいたのです。
そして、間に立つ役目は、それを担う人自身にも大きな負担をかけています。院長の言葉を柔らかく言い換えてスタッフに伝え、スタッフの不満を角が立たないように院長に伝える。この仕事は、どこにも書かれていない仕事です。書かれていない仕事を背負っていた人が辞めると、その仕事は誰にも引き継がれないまま、問題だけが表に出てきます。
スタッフが辞めても職場が壊れないための3つの対策
対策は他にもたくさんありますが、今日はあえて3つに絞ってお伝えします。
1. 仕事は、普段からマニュアル化・言語化しておく
人が辞めてから、その人がやっていた仕事を書き出そうとしても遅いのです。辞める人は引き継ぎの時間も限られていますし、本人も自分が何をしていたのか、全部は覚えていません。
「そんな時間はない」と言われる院長先生も多いのですが、今は音声入力や生成AIを使えば、これまでより圧倒的に簡単にできます。たとえば、診療後の片付けをしながら手順を声に出してスマートフォンに録音し、その文字起こしを生成AIに渡して手順書の形にまとめてもらう。これなら、1日数分でも1つずつ手順書が増えていきます。仕事が言葉になっていれば、誰かが抜けても、穴を1人に背負わせずに分けることができます。
2. 仕事の量を減らすには、資金繰りの余裕が必要
人が減ったら、予約の枠や受ける仕事の量を、残った人数に合わせて一時的に絞る。これが一番確実な対策です。ですが、それを実現させるには、資金繰りの余裕が必要です。
資金繰りに余裕がないと、売上をずっと上げ続けなければなりません。人が辞めても予約を減らせず、残ったスタッフで同じ量をこなし続ける。ある意味、自転車操業、ラットレースのような、やめたくてもやめられない状態です。院長がスタッフを守りたいと思っても、資金繰りに余裕がなければ、仕事の量を減らす判断はなかなかできません。だからこそ、資金繰りに強い税理士を近くに置いておく、もしくは資金繰りのコンサルタントと契約しておくことをお勧めします。
3. 外部相談窓口を設置する
院長にも、間に立つ人にも言えないことを話せる外部の相談窓口を置くのも有効です。ただし、相手選びには注意してください。
外部の相談窓口や社労士であっても、従業員本人から聞いた相談の内容を、本人の許可なく経営者に伝えてしまう人がいます。ハラスメント防止の指針でも、会社には相談者のプライバシーを守る措置が求められていますが、私はそういう人を実際に知っています。姫路のある中小企業の経営者から、その窓口を使おうとしていると聞いたとき、私は「明らかにやめた方がいい」とお伝えしました。相談した内容が社長に筒抜けになれば、従業員の信頼は確実に失われます。
当社も外部相談窓口をお引き受けしていますが、生命や身体に危険が迫っている場合などを除き、従業員本人の承諾なく、経営者に内容を共有することはありません。ハラスメントの相談であっても、そうでなくても、それは同じです。外部相談窓口を選ぶときは、「本人の承諾なく経営者に共有するか」を契約前に必ず確認してください。
院長ができないことは、外部の専門家に任せる
3つの対策は、どちらかと言えばハード(仕組み・ルール)の話です。スタッフの心の状態をつかみ、声を聞くために打てる手は、他にもあります。たとえば、次の4つです。
- ストレスチェックをやってみる
- 外部の専門家に、スタッフとの定期面談をしてもらう
- 産業医を利用する
- 1on1ミーティングを、専門家に任せる
ストレスチェックは、今は従業員50人以上の事業場だけの義務ですが、法律の改正で、2028年4月1日からは50人未満の事業場にも義務になります。小さなクリニックも対象になりますので、義務になる前に一度試しておくと、スタッフの状態を知るきっかけになります。産業医は、従業員50人未満の事業場には選任の義務がありませんが、各地の地域産業保健センターに相談すれば、無料で医師などに相談できます。
ここからはソフト(日々の対話や声かけ)の話です。院長先生は、診療の腕で患者さんの信頼を得てきた方です。ただ、スタッフとの面談は、診療とはまったく別の技術です。残念ながら、クリニックの院長先生には、コミュニケーションが得意でない方が多いのが実情です。自分にできないことを無理にやっても、逆効果になるばかりです。慣れない面談で院長が一方的に話してしまい、スタッフが「やっぱり言っても無駄だ」と感じてしまえば、面談をしない方がまだましだったということにもなりかねません。
任せる相手は、社労士である必要はありません。フリーの歯科衛生士や看護師でも、キャリアコンサルタントでもいいのです。院長自身が本気でコーチングやコンサルティングを学ぶ意思があるなら、ぜひ学んでください。ですが、院長先生は激務で、基本的にはそんな時間がありません。多くのクリニックを見てきた経験から、私は強くそう思います。
よくある質問
Q. スタッフが退職することになりました。退職日までに院長がやっておくべきことは何ですか?
A. まず、辞めるスタッフがやっていた仕事を、本人と一緒に全部書き出してください。そのうえで、いつまでに、誰に、何を引き継いでもらうのか、院長が決めて全員に伝えます。「みんなでうまくやって」と現場に丸投げする院長がいますが、これはうまくいきません。残るスタッフの意見を求めることは重要ですが、決めるのは院長の仕事です。院内に委員会があり、各委員会が完全に自立して動いている場合でも、案を出してもらったうえで、最終決定は院長がしてください。
Q. 小さなクリニックで、外部相談窓口を置く意味はありますか?
A. あります。むしろ、スタッフが少ない医院ほど院長との距離が近く、院長に関わる悩みを院内で相談できる相手がいなくなります。外部に話せる場所があれば、スタッフが1人で抱え込む前に、専門家と一緒に対処を考えられます。本人の了承が得られれば院長にも伝わるので、院長も早めに手を打てます。当社でも現在、小規模(スタッフ5名)のクリニックで外部相談窓口を務めていますが、定期的に相談があり、院の運営にプラスになっているという評価を、院長からもスタッフからもいただいています。
まとめ
2026年版「過労死等防止対策白書」の案は、医療業界で精神障害の労災認定が大幅に増えたと指摘しました。2025年度の精神障害の労災請求は、業種の中分類で「社会保険・社会福祉・介護事業」と「医療業」が1位と2位を占めています。
医療の職場でスタッフの心を折っているのは、忙しさだけではありません。人が抜けた穴を、残ったスタッフに黙って背負わせることです。そして人が辞めると、その人が受け止めていた問題まで一気に表に出てきます。
仕事を普段から言葉にしておくこと、仕事の量を減らせるだけの資金繰りの余裕をつくること、守秘義務を守る外部相談窓口を置くこと。そして、院長ができないことは、外部の専門家に任せること。スタッフが辞めてから慌てるのではなく、辞める前から準備しておいてください。
「これって違法?」「トラブルになる前に相談したい」——そのタイミングが一番大事です。
姫路の中小企業の現場を知る社労士が、一緒に整理します。

