姫路の社労士が解説|最低賃金が上がるほど、評価制度は静かに壊れていく——賃金表を2つに分ける

姫路の社労士が解説|最低賃金が上がるほど、評価制度は静かに壊れていく——賃金表を2つに分ける

「制度を作り直したところなんですが、たぶん、意味がなくなります」

賃金台帳を挟んで座っていた総務の方が、そう言いました。責めるでも嘆くでもなく、事実を報告するような口調でした。その会社は今年、評価制度に手を入れたばかりです。段階を減らして差がつくようにし、頑張った人がきちんと上がる仕組みにしたところでした。

理由を聞いて、なるほどと思いました。この会社の社員の給料は、最低賃金のすぐ上に張り付いていたのです。だから10月が来れば、評価とは無関係に、全員の給料が動きます。頑張った人も、そうでない人も、同じ幅で。

兵庫県の最低賃金は、2026年10月1日から1,172円になります。この改定が賃金制度の内側で何を壊すのか、どう手を打つのかをお話しします。


目次

  1. 最低賃金は「下から」押し上げる。上は動かない
  2. 「手当を入れれば超えています」——その計算、たぶん間違っています
  3. 「示しがつかない」の一言で、役職が肩書きになる
  4. 上がる給料と、上げる給料。分けて置く
  5. よくある質問

最低賃金は「下から」押し上げる。上は動かない

兵庫県最低賃金は現在1,116円です。これが2026年10月1日から1,172円に変わります。引上げ額は56円。兵庫労働局が令和8年9月1日に官報公示を行い、すでに改正が決定しています。パートもアルバイトも正社員も、雇用形態を問わず適用されます。派遣社員だけは扱いが違い、派遣元ではなく派遣先の事業場に適用される最低賃金が基準になります。

数字だけ見れば56円ですが、これを月額に直すと景色が変わります。所定労働時間が月168時間の会社なら、1,116円×168時間で18万7,488円だったものが、1,172円×168時間で19万6,896円になる。最低賃金ぎりぎりで働いている社員の給料は、会社が何も決めなくても月9,408円上がります。

ここで見落とされがちなのが、この力が「下からしか働かない」ことです。基本給19万円の一般社員は、法律の力で給料が押し上げられます。ところが基本給19万8,000円の主任は、もともと最低賃金を上回っているので、放っておけば1円も上がりません。10月1日を境に、8,000円あった基本給の差は1,104円まで縮みます。

なお、これは手当がない前提に単純化した数字です。実際には役職手当なども判定に入るので、自社の数字はこの通りになりません。見ていただきたいのは金額ではなく、上と下が近づく動きのほうです。

そして近年は、これがほぼ毎年起きています。上と下は近づく一方で、放っておいて離れることはまずありません。評価制度で年5,000円の差をつけたところで、法律が動かす額のほうが大きい。そういう構造になっている会社が、姫路にも珍しくありません。


「手当を入れれば超えています」——その計算、たぶん間違っています

「うちは手当がいろいろ付くので、合計すれば余裕で超えています」——この説明を、私は何度も聞いてきました。そして、そのたびに計算し直してもらっています。

判定に使えるのは、毎月決まって支払われる基本的な賃金だけです。逆に言えば、次のものは全部、計算から外れます。

  • 臨時に支払われる賃金、賞与など1か月を超える期間ごとに支払われる賃金
  • 時間外労働・休日労働に対して支払われる賃金
  • 深夜労働に対して支払われる賃金のうち、通常の労働時間の賃金の計算額を超える部分
  • 精皆勤手当、通勤手当、家族手当

前の3つは最低賃金法第4条第3項第1号・第2号と同法施行規則第1条に、最後の3手当は同項第3号を受けて兵庫県最低賃金の公示文そのものに定めがあります。経営者がいちばん引っかかるのは、この3手当です。「毎月きちんと払っているのに、なぜ数えてもらえないのか」と言われますが、数えてもらえません。

給与明細の合計が25万円でも、除外分を抜いた金額を所定労働時間で割った数字が1,172円を下回っていれば、それは違反です。夜勤のある職場ほど深夜割増が総額を膨らませるので、この錯覚は起こりやすくなります。なお、手当の名称ではなく実態で判断される部分もあるため、支給要件が特殊な手当については労働局に確認しておくと確実です。

もうひとつ、変形労働時間制の会社は注意が要ります。月ごとに所定労働時間が変わるためです。この場合に使うのは「1年間における1月平均所定労働時間数」だと最低賃金法施行規則第2条に定められています。忙しい月の実績で割って安心する会社があるので、確認しておいてください。

10月までに確認しておくべきことは3つです。ひとつ、所定労働時間が月何時間か。ふたつ、支給している賃金のうち算入できるものはどれか。みっつ、それを割った数字が1,172円以上か。この3つを社員一人ずつ確認して、初めて「うちは大丈夫」と言えます。

姫路の製造業は、1,172円で判断してはいけない

ここは特に強くお伝えしたいところです。兵庫県には、地域別最低賃金とは別に特定(産業別)最低賃金が6業種あり、そのうち複数は1,172円を上回っています。

  • 輸送用機械器具製造業 1,188円
  • 鉄鋼業 1,180円
  • 塗料製造業 1,158円
  • はん用・生産用・業務用機械器具製造業 1,150円
  • 電子部品・デバイス・電子回路・電気機械器具・情報通信機械器具製造業 1,117円
  • 計量器・測定器・分析機器・試験機・測量用機械器具製造業 1,117円

いずれも令和7年12月1日発効の現行額で、令和8年度分は例年どおりなら12月1日に改定されます。地域別と特定の両方が適用される場合は、高いほうの額以上を支払わなければなりません。

姫路は鉄鋼と輸送用機械の集積地です。「1,172円をクリアしたから大丈夫」と判断した鉄鋼業の会社は、実際の基準である1,180円を見落としていることになります。まず自社がどの最低賃金の対象なのかを確かめてください。なお特定最低賃金には、18歳未満・65歳以上の方や、雇入れ後6か月未満で技能習得中の方などの適用除外があります。


「示しがつかない」の一言で、役職が肩書きになる

ここまでは、数字の話でした。私が本当に怖いと思っているのは、この先です。基本給の差が詰まったとき、会社は何をするか。

たいてい、こう考えます。「一般社員と主任の給料がほとんど同じでは、示しがつかない」。それはその通りです。長く勤めて責任を持っている人が、入ったばかりの人と同じ額なら、士気は下がります。そこで会社は主任の給料を上げようとします。あるいは、もう一段上の役職を作って、そこへ主任を押し上げようとします。

問題は、その判断が「能力が足りているか」ではなく「給料の差をつけるため」で行われることです。まだ人を見られない人が、給与の辻褄を合わせるために役職に就く。これが積み重なると、役職は責任の重さではなく在籍年数の記号になります。部下は「なぜあの人が上なのか」と思い、当の本人も自分が何を期待されているのか分からないまま肩書きだけを背負う。

この構図で一番損をするのは、実は昇格した本人です。準備ができていない状態で人を持たされ、うまくいかなければ「あの人は器じゃなかった」と言われる。会社は給料の辻褄を合わせただけなのに、失敗の責任は本人が引き受けます。私はこのパターンで潰れた中間管理職を何人も見てきました。辞めるのはたいてい、その下にいた若手からです。

そして、せっかく作った評価制度は誰も見なくなります。評価が高くても低くても給料は最低賃金の動きで決まり、役職は辻褄合わせで配られる。評価制度が形骸化するとき、たいてい制度そのものに欠陥があるわけではありません。制度の外側にある力が、制度より強かっただけです。


上がる給料と、上げる給料。分けて置く

では、どうするか。私が提案しているのは、賃金を「最低賃金に連動して動く部分」と「評価に連動して動く部分」に分けて設計するという考え方です。基本給と、評価で動かす部分を、別々に置く。

基本給は、最低賃金に押し上げられる前提で置きます。ここは毎年動くものだと割り切って、抵抗しない。そのうえで、評価や役職に応じた部分を別建ての手当として設計し、こちらは最低賃金の改定では動かさない。基本給が上がっても、評価分の上乗せは残る。上下が並んでしまうことを避けられます。

ただし、設計しただけで差が守られるわけではありません。役職手当や評価手当も最低賃金の算入対象なので、法律上は合計で基準を満たせば足ります。基本給を据え置いて手当込みでクリアすれば、差はまた消える。守るのは制度ではなく、「基本給は基本給として上げる」と決める会社の意思です。

このとき注意したいのが、前の章で触れた算入ルールです。役職手当や職務手当は最低賃金の算入対象になりますが、精皆勤手当・通勤手当・家族手当は算入されません。差をつけるための手当をどんな性格の手当として作るかは、最低賃金の判定そのものにも跳ね返ってきます。

たとえば、主任に月8,000円の手当を新設するとします。これを職務手当として設計すれば最低賃金の判定に算入されるので、主任は基本給を上げなくても改定をクリアできる可能性があります。ところが同じ8,000円を家族手当として出すと、判定には1円も使えません。手当の名前を変えただけで、必要な原資が変わってしまう。「差もつけたいし、最低賃金もクリアしたい」なら、手当の設計は思いつきではできません。

そしてもうひとつ。制度をどれだけ精緻に作っても、それだけでは動きません。役職に就く人には「何ができるようになったら次があるのか」を言葉で伝える必要があるし、上がらなかった人には理由を説明する場が要ります。仕組み(ハード)と対話(ソフト)は、どちらが欠けても人は納得しません。賃金表を直すのは半分の仕事で、残り半分は面談の席にあります。


よくある質問

Q. 最低賃金が上がる10月1日までに、賃金の見直しが間に合いそうにありません。とりあえず何から手をつければいいですか?

A. まず、発効日は待ってくれません。10月1日以降に働いた時間については、その時点で基準額を下回っていれば違反になります。最低賃金を下回る賃金の定めは無効となり、最低賃金額と同額を定めたものとみなされます(最低賃金法第4条第2項)。つまり後から精算すればいい性質のものではありません。制度全体の設計が間に合わないなら、先に「10月分の賃金計算から基準額で支払う」ことだけを確定させてください。すでに下回った支給が生じていれば、速やかに差額を追加支給します。等級や手当の再設計は、その後で腰を据えてやれば間に合います。私が見てきた限り、ここで順番を逆にした会社ほど、どちらも中途半端に終わっています。

Q. 一般社員だけ上げると、役職者から不満が出ます。全員を同じ幅で上げるべきでしょうか?

A. 全員を同じ幅で上げれば人件費は膨らみ続け、しかも差は元のままなので何も解決しません。かといって据え置けば、役職者の不満は残ります。ここで決めるべきは「上げ幅」ではなく「何に対して払っているのか」です。役職者に払っているのは在籍年数への対価なのか、部下を育てる責任への対価なのか。それが言葉になっていれば、上げ方も説明できます。逆にそこが曖昧なままだと、いくら払っても不満は消えません。


まとめ

「制度を作り直したところなんですが、たぶん、意味がなくなります」と言った、あの総務の方の話に戻ります。

あの会社の制度は、出来が悪かったわけではありません。作った瞬間から毎年10月に外から力がかかることを、誰も計算に入れていなかっただけです。評価制度は、作った日がいちばん立派で、そこから毎年少しずつ崩れます。崩す力は社内ではなく社外から来るので、社内をいくら見直しても見つかりません。

10月1日まで、あと1か月を切りました。まずは所定労働時間と、算入できる賃金の範囲を確認するところからです。そのうえで、賃金表を「動く部分」と「評価で動かす部分」に分けられないか。制度を作り直すのは、実は簡単なほうです。作った制度が5年後も機能している——そちらを設計するほうが、ずっと難しくて、ずっと効きます。

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