「うちは固定残業手当を払ってるから、残業代の問題はない」
こう思っている経営者の方、少なくありません。しかし実際には、固定残業手当(みなし残業)の設計や運用を間違えたまま放置している会社ほど、労務トラブルが深刻化しやすいのです。
私が支援している中で、ある中小企業(匿名)が労基署の調査を受け、是正指導を受けた事例があります。未払い賃金・付加金・慰謝料の請求が重なり、総額1,000万円近くに達する可能性が出てきたケースです。「まさかうちが」——そう思っていた経営者が現実に直面した話です。
目次
目次
- 固定残業手当とは何か
- 固定残業手当の基本ルール
- 「上限時間が不明確」が生む危険
- ある中小企業で起きたこと(実例)
- みなし労働時間制は万能ではない
- 未払い賃金のリスクはいくらになるか
- よくある質問
- まとめ
固定残業手当とは何か
固定残業手当(定額残業代・みなし残業とも呼ばれる)とは、一定時間分の残業代をあらかじめ固定額として毎月支払う制度です。
例えば「月20時間分の残業代として3万円を固定で支払う」という設計です。残業が20時間以内であれば追加の残業代は発生せず、超えた分は別途支払います。
中小企業にこの制度が多い理由は、給与計算を簡略化できるという実務上のメリットがあるからです。毎月の残業時間を集計して計算する手間が省ける点は確かに魅力的です。しかし、その「楽さ」の裏に潜むリスクを理解していない会社が多すぎます。
固定残業手当の基本ルール
固定残業手当が「有効」と認められるには、最高裁の判例(医療法人康心会事件など)により、以下の要件を満たす必要があります。
- ①何時間分の残業代かを明記する:「固定残業手当3万円(月20時間分)」のように時間数を明示する
- ②超過分は別途支払う:固定時間を超えた残業は、通常の残業単価で計算して追加支払いが必要
- ③就業規則・賃金規程に明記する:口約束や雇用契約書だけでは不十分。就業規則と賃金規程への記載が必要
- ④最低賃金を下回らない:固定残業手当を除いた基本給が最低賃金を下回ってはいけない
この4つのうち1つでも欠けると、固定残業手当が「残業代として有効でない」と判断され、全額を未払い残業代として請求されるリスクがあります。
「上限時間が不明確」が生む危険
現場でよくあるのが、「固定残業手当として月15万円を支払っているが、何時間分かを明記していない」というケースです。
経営者からすれば「たくさん払っているから大丈夫」という感覚かもしれません。しかし法律の目線では、「何時間分の残業代か」が明確でなければ、その手当が残業代として機能しているとは認められません。
さらに問題なのは、「超過分の残業代を払っていない」という状況です。固定残業手当に上限時間の記載がなければ、超過分を計算する基準もなく、結果として残業代が全額未払い状態になっている可能性があります。
ある中小企業で起きたこと(実例)
ここで、私が関わった実際のケース(企業名・個人名は匿名)をご紹介します。
ある中小企業では、固定残業手当として月15万円を支払っていましたが、何時間分に相当するかが就業規則にも雇用契約書にも明記されていませんでした。
さらに深刻だったのは、管理職の一人が従業員の退勤打刻を代理で入力し、実際の労働時間を操作していたという事実です。「仕事が終わっていないのに退勤打刻させるわけにいかない」という管理職の判断だったようですが、これは立派な労働時間管理違反です。
2025年5月に労基署の調査が入り、以下の問題が次々と明らかになりました。
- 固定残業手当の時間数が不明記
- 45時間を超える残業に対する超過残業手当が未払い
- 退勤打刻の代理入力による労働時間の改ざん
労基署からは是正指導が入り、過去に遡った未払い残業代の計算と支払いが求められました。「まさかこんなことになるとは」——そう言っていた経営者の顔が忘れられません。
みなし労働時間制は万能ではない
「みなし労働時間制にすれば残業代を払わなくていい」と誤解している経営者もいます。しかしこれは大きな間違いです。
みなし労働時間制(裁量労働制・事業場外みなし労働時間制など)は、適用できる職種・業務内容が法律で厳しく限定されています。
例えば事業場外みなし労働時間制は「会社の外で仕事をし、労働時間の把握が困難な場合」に適用されますが、スマートフォンや業務アプリで常時連絡が取れる現代では、「労働時間の把握が困難」と認められにくくなっています。
先ほどの実例でも、「みなし労働時間制を適用していた」と会社側は主張していましたが、職務内容の実態から適用要件を満たしていないと判断され、通常の残業代計算が必要とされました。
未払い賃金のリスクはいくらになるか
未払い残業代が発覚した場合、会社が直面するリスクは残業代だけではありません。
- 未払い賃金:過去2〜3年分(時効期間)に遡って請求される
- 付加金:裁判になった場合、未払い額と同額の付加金を裁判所が命じることがある(最大2倍の支払い)
- 遅延損害金:支払いが遅れた期間に応じた利息
- 慰謝料・損害賠償:悪質性が認められる場合、さらに上乗せされる
これらが積み重なると、中小企業では経営を直撃する規模になることがあります。前述の実例では、総額1,000万円近くの請求が現実として迫ってきた状況でした。
よくある質問
Q. 固定残業代は何時間分か明記しないといけないの?
A. 必ず明記しなければなりません。最高裁判例により、固定残業手当が有効と認められるには「通常の労働時間の賃金と残業代(時間外・休日・深夜割増)とを判別できること」が必要とされています。時間数の明記がなければ、固定残業手当全体が「残業代として認められない」と判断されるリスクがあります。
Q. 退勤打刻を管理者が代理入力したら違法?
A. 労働時間の実態と異なる打刻を代理で行うことは、労働時間管理の義務に違反します。労基署の調査が入った際、タイムカードや打刻記録と実際の労働実態が異なることが判明すると、労働時間の改ざんとして重大な問題として扱われます。管理職の「善意」であっても、会社の責任として問われます。
まとめ
固定残業手当は便利な制度ですが、設計と運用を間違えると「安全装置のつもりが時限爆弾になる」ことがあります。
今すぐ確認してほしい3点です。
- 固定残業手当に「何時間分か」が明記されているか
- 上限時間を超えた残業代を別途支払っているか
- 退勤打刻・労働時間の管理が適切に行われているか
「うちは大丈夫」という思い込みが、最も危険です。労基署は予告なく調査に来ます。来てから慌てても遅い。
固定残業手当の設計が正しいか不安を感じたら、ぜひ当社にご相談ください。就業規則・賃金規程の見直しから労働時間管理の整備まで、一緒に対応します。
筆者プロフィール
泉 正道(いずみまさみち)|特定社会保険労務士/採用定着士/生成AIアドバイザー
姫路を拠点に中小企業延べ150社以上へ伴走。採用・定着・労務の相談累計3,000件超(2026年6月現在)。北は福島、南は佐賀まで顧問先があり、全国オンライン対応。
「採用より定着が先」——これが口癖であり、信念。耳が痛くても言い続ける。親に与えてもらった環境や収入を「全て自分の力」と誤解する2代目社長に説教して解約された経験あり。それでも伝え続けるのが私の役目。
支援の軸は制度(ハード)と対話(ソフト)の両輪。就業規則や評価制度を整えるだけでも、研修や面談を繰り返すだけでも、人の問題は解決しない。両方が噛み合って初めて、人が辞めない組織が動き出す。伴走とダメ出しができる社労士。
生成AI支援では「研修を受けた企業の9割が1ヶ月後に何もしていない」という現実に向き合い、経営者のPCを直接触り、当日に課題を解決する「実装型」の伴走を展開。商工会・商工会議所・大手生命保険会社でのセミナー講師としても精力的に活動中。

