先日、ある中小企業の経営者からご相談をいただいたときの話です。状況を整理すると、こんな内容でした。
- 状況:36歳で中途入社した社員が、現場で話しかければきちんと受け答えはする。ただし、自分から周囲に話しかけたり、雑談の輪に入ったりする様子は見られなかった
- 会社の認識:経営者としては「経験者だから、放っておいても自然に馴染むだろう」という受け止め方だった。実際、その会社の直近数年の退職者はわずか3名。定着率としてはかなり高い水準にある
- 実態のずれ:面談の機会は賞与の時期など、年に数回だけ。本人が現場に対応できているように見えても、環境の変化にどう戸惑っているかを、誰も定期的には聞いていなかった
この会社、定着率だけを見れば「うまくいっている会社」です。それでも、私はこの話を聞いたとき、「うまくいっているからこそ、危ういですよ」とお伝えしました。今日は、この「定着率が高い会社ほど陥りやすい油断」について、書いていきます。
目次
目次
- 定着率が高い会社ほど陥る、静かな見落とし
- なぜ「気づいたら手遅れ」が高くつくのか——早期退職のコスト
- なぜ「経験があるから大丈夫」が一番危ういのか
- 面談の「回数」ではなく「仕組み」が定着を左右する
- 声かけを仕組み化する具体策:初日・連休前・1ヶ月・3ヶ月フォロー
- 「採用より定着が先」——制度と対話の両輪で人は辞めない
- よくある質問
定着率が高い会社ほど陥る、静かな見落とし
経営者の皆さんとお話ししていると、「うちは定着率が高いから、離職の心配はあまりしていません」という言葉をよく聞きます。数字だけ見れば、その通りです。退職者が少ない会社は、間違いなく良い会社です。
ただ、ここに一つの落とし穴があります。定着率が高いという実績は、「過去にうまくいっていた」という証明であって、「これから先も大丈夫」という保証ではありません。むしろ、実績があるからこそ、経営者も現場も、新しく入ってきた社員への目配りが緩みやすくなります。冒頭の会社もまさにそうでした。定着率という数字への信頼が、目の前の一人の戸惑いを見えにくくしていたのです。
私がこの仕事で繰り返し感じるのは、離職は「うまくいっていない会社」だけで起きるものではないということです。うまくいっている会社ほど、「うちは大丈夫」という前提が、一人ひとりへの関心を後回しにしてしまう。定着率の高さは、慢心の材料ではなく、むしろ「なぜうまくいっているのか」を言語化して仕組みに落とし込む機会だと捉えるべきだと思います。
なぜ「気づいたら手遅れ」が高くつくのか——早期退職のコスト
「面談の仕組み化」と言うと、後回しにされがちです。忙しい現場では、優先順位がどうしても下がってしまう。ですが、ここで一度、早期離職が起きたときに実際どれだけのお金が失われるかを数字で見ておきたいと思います。
- 給料・社会保険料・交通費など、在籍しているだけでかかる直接コスト:約100万円
- その人への教育コスト(OJTにかけた先輩社員の時間分)
- 入社準備にかかった諸コスト(制服・備品・手続き等)
- 面接など選考にかけた時間コスト
- その人を採用するためにかかった募集コストと、抜けた穴を埋めるために再度かける募集コスト
▷ここまで合わせると、結果的に150万円前後のお金を、静かに失うことになります。定期面談の仕組み化にかかる手間は、この金額に比べればごくわずかです。「面談する時間がない」ではなく、「面談しないコストの方が高い」という視点で考えると、優先順位は自然と変わってくるはずです。
なぜ「経験があるから大丈夫」が一番危ういのか
中途採用の社員に対して、多くの経営者が口にするのが「即戦力だから、細かいフォローはいらないだろう」という言葉です。気持ちはよく分かります。実務経験があり、指示すればすぐに動ける。新卒のように手取り足取り教える必要もない。だからこそ、面談や声かけの優先順位が下がってしまいます。
しかし、これは大きな誤解です。仕事のスキルと、職場への心理的な馴染みは、まったく別の話です。冒頭の社員も、業務そのものはこなせていました。話しかければ普通に会話もできる。問題は「自分から輪に入っていけるかどうか」でした。新しい会社の空気、暗黙のルール、人間関係の距離感。これらは経験年数では埋まりません。むしろ経験があるからこそ、「今さら分からないと言えない」というプレッシャーを一人で抱え込みやすくなります。
離職の典型パターンは、実はここにあります。本人からの不満の申し出があるわけでも、目立ったトラブルが起きるわけでもない。ただ静かに戸惑いを溜め込み、ある日突然「辞めます」という言葉だけが届く。経営者からすれば「なぜ何も言ってくれなかったのか」となりますが、本人からすれば「聞かれなかったから、言えなかった」というだけのことも多いのです。
面談の「回数」ではなく「仕組み」が定着を左右する
冒頭の会社にも、面談自体はありました。ただし、賞与の時期など年に数回だけ。しかもその内容は評価や処遇の話が中心で、「最近どうですか」と本音を聞くための場ではありませんでした。
ここで大事なのは、面談が「ある」か「ない」かではなく、面談が「仕組みとして機能しているか」という点です。年に数回、評価のタイミングでしか話す場がない状態は、実質的には「面談がない」のとほぼ同じです。特に入社直後は、環境変化への戸惑いが一番大きい時期です。この時期に定期的な接点がなければ、本人は「相談していいのか分からない」まま、時間だけが過ぎていきます。
逆に言えば、この会社がここまで高い定着率を保ってこられたのは、経営陣や現場のリーダーが、仕組みに頼らずとも個々に目を配ってきたからだとも言えます。これは大きな強みです。ただ、その強みが「属人的な気配り」に依存している限り、担当者が変わったり、組織が大きくなったりした瞬間に、綻びが生まれます。だからこそ、今のうちに仕組みへと落とし込む価値があるのです。
声かけを仕組み化する具体策:1・3・6ヶ月面談
この会社にご提案したのは、大きく分けて2つです。
1つ目は、現場を統括する立場の方から、本人へ直接声をかけてもらうこと。「最近どう?困っていることない?」という一言だけでも構いません。役職者からの声かけは、それ自体が「気にかけられている」というメッセージになります。難しい制度を整える前に、まずはこの一歩からで十分です。
2つ目は、入社初日・最初の連休(週末)前・1ヶ月・3ヶ月という節目での簡易面談を、制度として組み込むことです。ポイントは、経験者であっても——いえ、経験者だからこそ、このフォローを省略しないことです。「業務の進捗確認」ではなく、「本人が今どう感じているか」を聞く場にすること。時間は15分程度で構いません。評価には直結させず、あくまで本音を引き出すための場として位置づけます。この4つの節目を仕組みにしておけば、担当者が忙しくても、うっかり後回しにされることがなくなります。属人的な気配りから、組織としての仕組みへ。これが今回の提案の核心です。
「採用より定着が先」——制度と対話の両輪で人は辞めない
私はいつも「採用より定着が先」だとお伝えしています。どれだけ良い人材を採用できても、定着の土台がなければ、また次の採用にコストと時間をかけることになります。そして定着の土台は、採用してからの数ヶ月、特に最初の半年間でほぼ決まると言っても過言ではありません。
ここで欠かせないのが、「制度(ハード)」と「対話(ソフト)」の両輪という考え方です。1・3・6ヶ月面談という仕組みを作るだけでは、形だけの面談で終わってしまうことがあります。「特に問題ありません」で15分が過ぎ、誰の本音も引き出せない。逆に、仕組みがないまま「気になったら声をかけよう」という姿勢だけに頼っていると、忙しさに紛れて誰も声をかけない月が生まれます。
仕組み(ハード)が「聞く場を必ず用意する」ための土台をつくり、対話力(ソフト)が「その場で本当の気持ちを引き出す」役割を果たす。どちらか一方では機能しません。両方が噛み合って、初めて人が辞めない組織が動き出します。定着率が高い会社であればあるほど、この両輪を意識的に整えておくことが、次の3年、5年の実績を守ることにつながります。
よくある質問
Q. うちは定着率が高いのに、なぜ今さら面談の仕組みが必要なのですか?
A. 定着率の高さは「これまでの実績」であって、「今後もこのままで大丈夫」という保証にはなりません。多くの場合、その実績は経営者や現場リーダーの個人的な気配りに支えられています。担当者の異動や組織の拡大など、環境が変われば、その気配りが行き届かなくなる瞬間が必ず来ます。実績があるうちに仕組み化しておくことで、属人的な強みを組織の力として残せます。
Q. 中途入社者への面談は、どのくらいの頻度で行えばよいですか?
A. 目安として、入社初日・最初の連休(週末)前・1ヶ月・3ヶ月の4つの節目は最低限確保することをおすすめしています。経験者であっても、環境変化への戸惑いが最も大きいのはこの時期です。この期間に本音を聞く場がないと、不安を一人で抱え込みやすくなります。1回15分程度で構いません。評価と切り離し、本人の気持ちを聞くことに徹する場として位置づけるのがポイントです。
まとめ
定着率が高いことは、間違いなく誇るべき実績です。ただ、その実績に安心しきってしまうと、一人ひとりへの目配りが緩み、静かに戸惑いを抱えた社員を見過ごしてしまうことがあります。特に中途入社者は「経験があるから大丈夫」と見なされやすく、実際にはフォローが手薄になりがちです。
大切なのは、役職者からの一言の声かけと、1・3・6ヶ月といった節目での簡易面談を、仕組みとして組み込むこと。そして、その仕組みを形だけで終わらせず、本音を引き出す対話力とセットで機能させることです。制度と対話、この両輪が噛み合って初めて、実績としての定着率が「これからも続く定着率」に変わります。もし自社の定着の仕組みが属人的な気配りに頼りきりになっていることに不安を感じたら、ぜひ当社にご相談ください。
筆者プロフィール
泉 正道(いずみまさみち)|特定社会保険労務士/採用定着士/生成AIアドバイザー
姫路を拠点に中小企業延べ150社以上へ伴走。採用・定着・労務の相談累計3,000件超(2026年7月現在)。北は福島、南は佐賀まで顧問先があり、全国オンライン対応。
「採用より定着が先」——これが口癖であり、信念。耳が痛くても言い続ける。親に与えてもらった環境や収入を「全て自分の力」と誤解する2代目社長に説教して解約された経験あり。それでも伝え続けるのが私の役目。
支援の軸は制度(ハード)と対話(ソフト)の両輪。就業規則や評価制度を整えるだけでも、研修や面談を繰り返すだけでも、人の問題は解決しない。両方が噛み合って初めて、人が辞めない組織が動き出す。伴走とダメ出しができる社労士。
生成AI支援では「研修を受けた企業の9割が1ヶ月後に何もしていない」という現実に向き合い、経営者のPCを直接触り、当日に課題を解決する「実装型」の伴走を展開。商工会・商工会議所・大手生命保険会社でのセミナー講師としても精力的に活動中。

