先日のブログで、就業規則を確認したら退職金規程が見つかった——という企業の話を書きました。今日はその続きです。先代の急逝で会社を引き継いだ二代目社長が、知らないうちに抱えていたもう一つのリスクについてお伝えします。
タイムカードを確認すると、あるスタッフの退勤時刻は、ほぼ毎日22時前後になっていました。ところが、その分の残業代は支給されていませんでした。理由は「残業を指示していないから」というものでした。
社長にこの話を伺っていく中で、社長自身がふと思い出したことがありました。知人の会社でも、同じように「指示していないから」という理由で、何年も残業代を払わずにいたところ、ある日突然、辞めたスタッフから数百万円規模の残業代を請求されたことがあったというのです。
「指示していないから、払わなくていい」——多くの経営者がそう思い込んでいます。ですが、これは大きな誤解です。
目次
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なぜ「指示していないから」は通用しないのか
多くの経営者は、「残業は指示したときだけ払えばいい」と考えています。指示していないのだから、本人が勝手にやっていることで、会社の責任ではない、という理屈です。
しかし、残業代の支払い義務が発生するかどうかは、「指示したかどうか」だけで決まるわけではありません。会社の指揮命令下に置かれていたと判断される状態であれば、明確な指示がなくても、業務とみなされる可能性があります。会社が実態を知りながら黙認していた、成果物を業務として受け取っていた。そうした事実があれば「指示していないから関係ない」という説明は通りにくくなります。これを黙示の指揮命令と呼びます。
判断の目安になるのは、次のような点です。
・使っている設備や道具は会社のものか
・その時間の成果物を、会社が業務として受け取っていないか
・遅くまで残っていることを、会社が知りながら止めていなかったか
・納期や業務量から見て、定時内に終わる仕事量だったか
これらが積み重なるほど、「指示していないから関係ない」という説明は苦しくなります。とくに最後の一点は重要です。定時内に終わらない量の仕事を渡していれば、残業を命じたのと変わらないと判断されることもあります。
今回のケースで特に見過ごせないのは、タイムカードに実際の退勤時刻がそのまま記録されていたという点です。「知らなかった」「気づかなかった」という言い訳が、この記録の前では通用しません。毎日22時前後の打刻がある。それを会社が確認できる状態にあったという事実そのものが、「実態を把握できていたはずだ」という判断につながりやすいのです。
記録が残っているのに払っていない、が一番危ない理由
残業代トラブルというと、多くの経営者は「記録がないから証明できない」というケースを想像します。ですが、今回のように記録がすでに残っているケースは、実はそれ以上に危険です。
記録がなければ、会社側にも「証明できない」という一定の防御の余地があります。しかし、タイムカードに実際の時刻がそのまま打刻されている場合、それは会社にとって不利な証拠が、すでに会社自身の手元にある状態です。万が一トラブルになれば、そのタイムカードこそが「何時間働いていたか」を示す一番強い証拠になります。それを、他でもない会社自身が保管し続けているのです。
「指示していないから払わなくていい」という説明は、この記録の前ではほとんど意味を持ちません。むしろ、「これだけの記録がありながら、なぜ何年も対応しなかったのか」という点の方が、後から問われることになります。
とくに中小企業は、社長と現場の距離が近く、誰が何時まで残っているかが日常的に目に入ります。見えていた、という事実そのものが、後から会社の首を絞める。これが、規模の小さい会社ほどリスクを負いやすい理由です。職人気質の強い業種、こだわりを持って働くスタッフが多い会社ほど、こうした状態は起きやすいと感じています。技術を磨きたい、もっと良いものを作りたい。その気持ち自体は、経営者にとってありがたいものです。だからこそ「まあ、本人がやりたくてやっていることだから」と、見過ごされやすいのです。
知人の会社に実際に起きたこと
冒頭でご紹介した社長の知人の経営者も、同じように「指示していないから」という理由で、何年も残業代を払わずにいました。
・タイムカードには、実際の遅い退勤時刻が何年分もそのまま記録されていた
・会社としては「指示していない」という理由で、その分の残業代を支給していなかった
・ある日、退職したスタッフから、まとめて残業代を請求された
・金額は数百万円、記憶では1000万円規模になった
・何年分もの記録がそのまま残っていたため、会社側に反論できる材料がほとんどなかった
正確な金額や経緯までは私も確認できていませんが、「記録はあるのに、指示していないという理由で払っていなかった」という構図は、冒頭の企業とまったく同じでした。「ずっとこうしてきたから大丈夫だろう」という時間の積み重ねが、そのまま請求額の積み重ねになっていた。この一件を伺って、社長ご自身が一番驚かれていました。
今すぐやるべきこと
ここまで読んで、不安になった経営者もいらっしゃると思います。ですが、慌てる必要はありません。まずやるべきことはシンプルです。
・自社のタイムカードを確認し、打刻時刻と実際の給与計算にズレがないかを確認する
・「指示していないから」という理由で未払いにしている時間が、どれくらいあるかを洗い出す
・その時間が本当に業務なのか、自己研鑽なのか、本人に確認する
・業務だと判断されるものは、労働時間としてきちんと扱う仕組みに変える
これは「仕組み(ハード)」の話であると同時に、本人との対話(ソフト)の話でもあります。まず対話で実態をつかみ、その上で仕組みに落とし込む。責めるためではなく、実態を知るために聞く。それだけです。制度を整えるだけでも、対話するだけでも、この問題は解決しません。両輪が噛み合って、初めてリスクは小さくなります。
配慮はする。でも遠慮はしない。本人の頑張りや意欲は尊重しつつ、「それは会社としてどう扱うべきものなのか」をきちんと見極める。ここまでできて、初めてリスクは小さくなります。本人を疑うためではなく、本人を守るためでもある。そう考えると、聞きにくさも少し和らぐのではないでしょうか。
同じような働き方をしているスタッフが他にいないか、社内全体を見渡してみることも大切です。一人のスタッフの話で終わらせず、会社全体の仕組みとして見直すことが、再発防止につながります。
よくある質問
Q. 残業を指示していなければ、会社は残業代を払わなくてもいいのですか?
A. 指示の有無だけで判断されるわけではありません。会社が実態を知りながら黙認していた、成果物を業務として受け取っていたなどの事情があれば、指揮命令下にあったとみなされ、残業代の支払い義務が生じる可能性があります。まずは自社の実態を正確に把握することが第一歩です。
Q. 何年も前の分まで、さかのぼって請求されることはありますか?
A. 未払い賃金の請求権には時効があり、現在は原則3年とされています。ただし、在職中は請求せず、退職後にまとめて請求されるケースが多いのが実情です。時間が経つほど、記録も記憶も積み上がっていきます。気づいたタイミングで、早めに実態を確認しておくことをおすすめします。
まとめ:「指示していない」は、記録の前ではほとんど意味を持たない
今回の話の教訓は、シンプルです。「指示していないから払わなくていい」という考え方は、記録が残っていない場合でも危ういものですが、記録がしっかり残っている場合はさらに危険です。
頑張ってくれているスタッフの姿を、疑いの目で見る必要はありません。ただ、「その頑張りは、会社としてどう扱うべきものなのか」を確認しないまま放置することは、経営者にとって大きなリスクです。先代から引き継いだ会社なら、なおさらです。自分が始めた運用でなくても、請求されるのは今の社長です。
まずは自社のタイムカードと給与計算の間に、説明のつかないズレがないか確認してみること。それだけで、見えるリスクがあります。
「これって違法?」「トラブルになる前に相談したい」——そのタイミングが一番大事です。
姫路の中小企業の現場を知る社労士が、一緒に整理します。

